1ミリくらい、自分の可能性を信じてみる

考えたこと

こんなことを書くのは、少し恥ずかしい。

というより、たぶん普段の自分なら、あえて外には出さないことだと思う。

自分は、本当に人の上に立つような人間なんだろうか。

管理職とか、リーダーとか、そういう立場を目指していい人間なんだろうか。

そんなことを考えることがある。

教科の指導力で、誰もが目を見張るようなものを持っているわけでもない。

何か一つ、圧倒的に秀でたものがあるとも思っていない。

マネジメントの能力や知見だって、本当に十分なのか分からない。

もっと言えば、人物として、リーダーとしての適性や力量を、自分が本当に持ち合わせているのかも分からない。

実際、望んでも評価されなかったことは何度もある。

選ばれなかったこともある。

期待したような結果にならなかったこともある。

そういうことが積み重なると、

「やっぱり自分は、そういう立場には値しない人間なのかな」

と思ってしまう。

負け癖、とでもいうのだろうか。

何か少し先の未来を想像して、 もしかしたら、と一瞬思っても、 すぐに自分の中から、

「いや、自分なんかが」

という声が出てくる。

そうやって、自分で自分にブレーキをかける。

今まで評価されなかったんだから。 もっと優れた人はいくらでもいるんだから。 自分にはそこまでの力量なんてないんじゃないか。

そんなふうに考えてしまう。

そして、その感覚が全く根拠のないものだとも思っていない。

自分のことを必要以上に大きく見せたいわけでもないし、 「自分は本当はすごいのに、周りが分かっていない」 なんて言いたいわけでもない。

評価されないという事実は事実として受け止めなければならないと思っている。

自分の考え方が独りよがりなのではないか。

改革だと思っていることが、単なる自分本位になっていないか。

合理的だと思っている判断が、誰かにとっては乱暴なものになっていないか。

そういうことは、これからも何度でも自分に問い続けなければならないと思う。

でも、その一方で。

それでも、どこかでまだ、 自分がこれまで身につけてきたものを信じてみたい気持ちもある。

世の中は、少しずつだけれど確実に変わっている。

働き方も、 人と組織との関係も、 リーダーに求められるものも。

心理的安全性。

多様性。

ウェルビーイング。

立場や年齢に関係なく意見を言えること。

一人ひとりの得意なことや置かれている状況を見ながら、 その人が力を発揮できるように考えること。

これまでの「当たり前」を、 本当にそれが今も必要なのかと、一度ゼロから問い直すこと。

新しい技術や考え方を、 よく分からないから遠ざけるのではなく、 まずは自分で触って、試して、考えてみること。

そういう方向へ社会が動いていく感覚の中で、

「自分がこれまで考えてきたことは、案外これからの時代に合っているんじゃないか」

と思うことがある。

もちろん、新しいものを入れれば、それだけで組織が良くなるとは思っていない。

むしろ逆で。

新しいものを一つBuildしようとするなら、 その前に、もう役割を終えたものを一つどころか二つ、三つとCrashしなければならないこともあると思っている。

仕事を一つ増やすなら、 同時に何かを減らさなければならない。

新しい仕組みを入れるなら、 古い仕組みを残したまま上乗せするのではなく、 何をやめるのかまで考えなければならない。

前例があるから。 昔からそうだから。 みんなそうしてきたから。

そういう理由だけで残っている不合理なものは、 いつか誰かが問い直さなければならない。

ただし、壊すこと自体を目的にはしたくない。

今までのものを否定したいわけでもない。

そこには、そこまで積み上げてきた人たちの経験も、 そうなった理由もあるはずだから。

だからこそ、

何を残して、 何を変えて、 何をやめるのか。

人や組織に対して、できるだけ誠実に考えて、 判断して、 そしてその結果に責任を持つ。

そんな采配ができる人でありたいと思う。

今の自分が、本当にそれをできるのかは分からない。

それでも、

「自分なら、そういう視点で組織を見られるんじゃないか」

「新しいものだけを見るのではなく、古いものも知った上で、その間をつなげられるんじゃないか」

「人を一律に扱うのではなく、それぞれを見ながら考えることならできるんじゃないか」

そんなふうに、 自分を信じてみたい気持ちもある。

ただ、正直に言えば。

こういうことを考えながら、 現実の組織の中でうまくいかないこともある。

新しい視点を持ち込もうとすれば、 必ずしも歓迎されるとは限らない。

よく思われないこともある。

評価されないこともある。

特に、公務員という組織や、 学校という長い歴史と文化を持つ世界では、 変えることそのものが簡単ではない。

合理性だけでは動かないものもある。

その難しさを知らないわけではない。

むしろ、かなり知っているつもりだ。

だからこそ、

「やっぱり自分は向いていないんじゃないか」

と考えることもある。

もっと人当たりが良くて、 もっと器用で、 もっと波風を立てず、 もっと周囲から好かれ、 もっと分かりやすく評価される人の方が、 リーダーには向いているんじゃないか。

そう考えて、気後れすることもある。

そしてたぶん、そこには自分の「負け癖」もある。

結果が出なかった経験を重ねるうちに、

「どうせ自分は選ばれない」

という感覚が、 少しずつ身体に染みついているのかもしれない。

だから、

本当はもっと活躍したい。

もっと大きな仕事をしてみたい。

自分の考えてきたことを、 責任を持つ立場で試してみたい。

いつかリーダーとして、 人や組織に関わってみたい。

そういう気持ちを持っているのに、

それを口にすること自体、 どこかで恥ずかしいと思ってしまう。

できなかったときに格好悪いから。

また評価されなかったときに傷つくから。

「そんなことを言っていたのに」 と思われるのが怖いから。

だから、 あえて言わない。

望んでいないふりをする。

そこまで欲しくないふりをする。

少し逃げ道を残しておく。

そういう自分もいる。

それは、自分でも少し情けないと思う。

でも。

今回は、少しだけそこから出てみたい。

格好いい決意表明をしたいわけではない。

自分にはその資格がある、と言い切りたいわけでもない。

自分なら絶対にできる、と言いたいわけでもない。

むしろ、今もかなり不安だ。

自分に本当にそんな力量があるのか、 今でもよく分からない。

それでも。

まだ活躍したいと思っている。

まだ、自分を試してみたいと思っている。

まだ、自分が知らない場所へ行ってみたいと思っている。

まだ、 「自分には何かできるかもしれない」 という気持ちを完全には捨てられない。

だから、

自分にはそんな資格はない、と 自分自身で先に結論を出すのは、 もう少しだけやめてみたい。

大きな自信なんてなくていい。

根拠のない自己肯定をする必要もない。

でも、 1ミリくらいなら。

1ミリくらいは、 自分の可能性を信じてみてもいいのかなと思う。

結果がどうなるかは分からない。

また負けるかもしれない。

また評価されないかもしれない。

それでも。

それを理由に、 自分で自分の未来を閉じることだけは、 まだしたくない。

情けなくても。 不安でも。 少し恥ずかしくても。

もう少しだけ。

自分の可能性を追ってみたい。

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