学校には、たくさんの「当たり前」がある。
時間割がある。
チャイムが鳴る。
同じ年齢の子どもたちが同じ教室で学ぶ。
先生が教え、生徒が学ぶ。
テストをして、点数をつけ、成績を出す。
どれも学校では見慣れた風景だ。
私自身、長く学校で働いてきたから、その「当たり前」の中で仕事をしてきた。
でも最近、ときどき思う。
それは、本当に今も当たり前なのだろうか。
「昔からこうしている」は理由になるのか
学校で何かを変えようとすると、
「これまでこうしてきたから」
「学校とはそういうものだから」
「例年どおりで」
そんな言葉に出会うことがある。
もちろん、長く続いてきたものには理由がある。
積み重ねてきた経験を、何でも新しくすればいいとも思わない。
ただ、「これまでそうだった」ということと、「これからもそうあるべきだ」ということは、同じではない。
社会も、子どもたちも、技術も変わっている。
ならば学校も、ときどき立ち止まって、
「そもそも、これは何のためにやっているのだろう」
と問い直してみてもいいのではないかと思う。
ゼロから考えてみる
私は、何かを考えるときに、一度「今ある形」を外してみることがある。
もし、これを今日初めてつくるとしたら、どうするだろう。
今までの方法を知らなかったとしたら、同じ仕組みにするだろうか。
そう考えてみると、意外なことに気づく。
本当に必要なものも見えてくるし、逆に、いつの間にか「やること自体」が目的になっていたものに気づくこともある。
ゼロベースで考えるというのは、これまでを否定することではない。
むしろ、なぜそれを大切にしてきたのかを、もう一度確かめることでもあると思う。
テクノロジーが問い直す「当たり前」
AIを使うようになって、この感覚はさらに強くなった。
文章をつくる。
情報を整理する。
アイデアを出す。
分からないことを調べる。
これまで人が時間をかけてやっていたことの一部を、AIが驚くほど短い時間で手伝ってくれる。
そうなると、
「この作業をどう効率化するか」
だけではなく、
「そもそも、この作業は必要なのか」
というところまで考えられるようになる。
これは学校でも同じだと思う。
新しい技術を、今までの仕事を少し便利にするためだけに使うのではなく、今までの仕組みそのものを問い直すきっかけにする。
そこに、教育でテクノロジーを使う面白さの一つがある。
子どもたちにも問いを持ってほしい
そしてこれは、学校の仕組みだけの話ではない。
授業でも同じだ。
教科書に書いてあるから。
先生がそう言ったから。
テストに出るから。
それだけで終わるのではなく、
「なぜそうなるのだろう」
「本当にそうなのだろうか」
「別の考え方はないだろうか」
と考える。
数学でも、公式を覚えて正しい答えを出すことは大切だ。
でも、その先に、
なぜその公式が成り立つのか。
別の方法では解けないのか。
条件が変わったらどうなるのか。
と問いを広げることができる。
私は、そういうところにも学ぶ面白さがあると思っている。
当たり前を、なくすのではなく
学校の「当たり前」を全部なくせばいい、という話ではない。
残した方がいいものも、きっとたくさんある。
ただ、ときどき、
「これは本当に必要なのか」
「誰のためにやっているのか」
「もっと違う方法はないのか」
と問い直してみる。
そして、考えた結果、
「やっぱりこれは大切だ」
となるなら、それも一つの答えだと思う。
何となく続けることと、考えた上で続けることは、同じではない。
教育について考えるとき、私はこれからも、ときどき「当たり前」をいったん横に置いてみたい。
そこから見えてくるものが、きっとあると思うから。



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